「浪曲」という芸能は、明治初期に「浪花節」として鑑札を受け認められた、他の芸能と比べても比較的新しいジャンルです。
しかし、公式に名前をもらったのは最近といえど、それ以前にも存在していました。
遡って調べていけば、その歴史は非常に長く、起源は800年まえと言われています。
浪曲は、はじめから現在のスタイルでやっていたわけではありません。
ちょんがれ・ちょぼくれ、神仏への祭文や説教ぶしなどの芸が、歴史とともに混ざり合って基盤をつくり、路上で行われる大道芸としてはじまりました。
時代によって名前や姿を変え、祭文、浮かれぶし、浪花節と呼ばれながら、現在の「浪曲」へと近づいていきます。
浪曲の歴史には、様々な他芸能との交流、そして他芸を吸収して生き残ってきた軌跡があります。
Contents
ちょんがれ・ちょぼくれ
古くは神仏への説教から
浪曲のルーツを遡るのは複雑です。
神仏への説教を母体にして、それが段々と俗化して大道芸になり、実に様々な芸が取り込まれながら、影響を受けながら発展をしてきました。
仏教の教えを節にのせて唄い語る「説教節」、
螺貝をメガホンのように使って大きな声で歌い語りながら、僧が使う錫杖で調子をとるデロレン祭文(貝祭文ともいう)が母体としてあります。
「日本浪曲史」正岡容(まさおか・いるる)著の中で、浪花節のルーツは説経節、デロレン祭文、阿呆陀羅経であり、その先祖には宗教音楽時代の説教、祭文であると書かれています。(日本浪曲協会HP)
説教は江戸時代に入り義太夫などの浄瑠璃に人気を奪われ、消えて行きます。
一方祭文は、世間の事件などをおもしろおかしく聴かせるなど俗化して、読み口もエンタメ的に発展し、それが「ちょんがれ」や「阿呆陀羅経」となります。
ここまでで、既に長い長い歴史を感じます
誕生した、ちょんがれ、ちょぼくれ
ちょんがれ・ちょぼくれに関してこんな文献があります。
又、今チョボクレといふもの、己前の曲節とはかはりて、文句を唄ふことはすくなく、詞のみにて、芝居狂言のはなしをするが如し。是を難波ぶしといふは、彼こより始めたるにや1830年刊行「嬉遊笑覧」より(せりか書房 2020年刊行 「浪花節の生成と展開」から)
ちょんがれ・ちょぼくれについての記述のなかに、「難波ぶし」という言葉が使われています。
謎が多いですが、「ナニワブシ」という名前が呼ばれていたことは、非常に興味深いです!
この「難波ぶし」という言葉がどうして生まれたのか、ここから「浮かれぶし」「浪花節」へどのように発展し繋がったのかは、いまだ定かではありません。
しかし、このちょんがれ・ちょぼくれを元にしながら、その他の隣接した芸能と関わり、影響をうけ時には吸収して、浪曲の語りと節回しがつくられていたのは確かでしょう。
ちなみに、阿呆陀羅経は木魚を叩きながら唄い歩く大道芸で、ちょんがれ・ちょぼくれと隣接しながら、非常に大きな影響を与えます。
この阿呆陀羅経の、テンポの感覚はいまの浪曲につながっているかもしれません。
「日本浪曲史」にもあるように、阿呆陀羅経も、ちょんがれ・ちょぼくれと共に、浪花節成立への重要な一過程といえるでしょう。
浪曲のご先祖様?願人坊主
ちょんがれ、ちょぼくれってどんな芸?
ちょんがれ・ちょぼくれとは、僧が持つ錫杖や鈴などを持って拍子を取り、しわがれごえにより、早口でたくさんの言葉を歌う芸です。(音源などが残されていないため、定かではない)
言葉遊びや軽口、世間の事件や噂などのゴシップ、卑俗な内容などを扱うものでした。やがて、政治的事件や風刺的な内容をも取り入れるようになります。
それを行っていたのが、「願人坊主」という人たちで、一種の乞食僧です。
願人坊主とは、もともとは、参拝や祈願、また修行や水垢離などを代理として行う人々でした。
いまでいう、お参り代行人!
それが、段々と俗化して、僧系の芸人となりました。
謎かけ、住吉踊り、あほだら経などをうたったり、踊ったりして、江戸中を歩き回いたり、道にたって通行人にきかせたり、また門付(家や店の前に立って芸を行うこと)をしたりしながら生活していました。
特にちょんがれ・ちょぼくれをうたう願人坊主のことを、「ちょんがれ坊主」とも呼びました。
上方へ拡大するちょんがれ・ちょぼくれ
願人坊主とともに、ちょんがれ・ちょぼくれは東京以外にも移動し、上方へも伝わって行きました。
すると、ちょんがれ・ちょぼくれは上方を中心に語られるようになります。
そして、義太夫や浄瑠璃の影響か、単調だった節に物語的な節がつき、会話などもおりまぜるという、より現代の浪曲に近い形へと変化してきました。
これが、今度は江戸へと逆輸入されることになります。
また、一説では、このころから、三味線などの鳴り物がだんだんと持ち込まれてきたのではないかと言われています。
だんだんと芸の姿形がみえてきました!
名前をかえ、浮かれぶしへ!
開祖、浪花伊助の大阪での大成功
三味線も入るようになり、錫杖と併用され伴奏を弾いた時期を経て、三味線単独の伴奏へと移行して行きました。
こうして、様々な芸のいいところを積極的にとりいれ、新しい形のちょんがれ・ちょぼくれが形成されてきました。
そしてついに、浪曲の開祖と呼ばれる浪花伊助が、語り物としての形を整えた「ちょんがれ」を、自分は三味線をひき、弟に節を語らせ、それを「浮かれぶし」と名付けて、大阪で大成功をおさめました。
こうして、語りと三味線という形ができあがりました!
さて
これからどのようにして、浮かれぶしが、
浪花節、さらに浪曲と呼ばれるまでになるのかですが・・・
〽︎ちょうど時間となりました〜
〽︎浪曲ができるまで①はまず、これまでえ〜