時代をくぐり抜けながら、大正十年頃から、浪花節は徐々に「浪曲」と呼び方を変えられていきます。 これについては、鑑札のきっかけがあったわけでもなく、長い間、呼び方は混在していました。 特に関西では「浪花節」、また九州では長い間「祭文」と呼ばれていたりもしました。 それも、浪曲業界の内側から徐々に「浪曲」という名前が使われ始め、それがゆっくりと浸透してゆきます。 浪曲 浪曲ができるまで③〜黄金期と「浪曲」の誕生〜
浪花伊助によって誕生した「浮かれぶし」は大阪で大成功をおさめました。 こうしてできあがった、浮かれぶしの語りと三味線という形は、流行し、江戸へと逆輸入されます。 浪曲 浪曲ができるまで② 〜寄席への進出と「浪花節」の確立〜
「浪曲」という芸能は、できてから比較的新しいジャンルですが、「浪曲」という芸能ができあがるまでが非常に長く、その起源は800年まえと言われています。 浪曲 浪曲ができるまで① 〜ちょんがれ・ちょぼくれ〜