時代をくぐり抜けながら、大正十年頃から、浪花節は徐々に「浪曲」と呼び方を変えられていきます。 これについては、鑑札のきっかけがあったわけでもなく、長い間、呼び方は混在していました。 特に関西では「浪花節」、また九州では長い間「祭文」と呼ばれていたりもしました。 それも、浪曲業界の内側から徐々に「浪曲」という名前が使われ始め、それがゆっくりと浸透してゆきます。 浪曲 浪曲ができるまで③〜黄金期と「浪曲」の誕生〜